日本と横浜のバーに関わる歴史を紹介。










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1860 万延元年
2 月3日(現在の暦では2月24日)、横浜外国人居留地70番(中区山下町70番地。レストランかをり付近)で横浜ホテルが開業した。
このホテルは木造2階建、客室の他、レストラン、理容室、そしてビリヤード(恐らくスヌーカー)が設置されたバーがあった。これが我が国初のバーである。
1862 文久二年
元町で雨森信成が我が国初の喫茶店を開業。
1868 明治元年
ビール技師W・コープランドが横浜・山手居留地123番にて我が国初のビール醸造工場、スプリング・バレー・ブルワリー(後のキリンビール)を開設。その後、国産ビール1号『天沼ビアザケ』を発売。
同年、中川嘉兵衛がイギリスの帆船をチャーターし、函館から運んだ氷を元町で販売。
1870 明治03年
英国カルノー商会が横浜外国人居留区で開業。最初にジンを輸入、続いてワイン、ブランデー、ウイスキー、リキュールを輸入。
その後、我が国初のボトリングされたワイン・ウイスキーが、猫印ワイン、猫印ウイスキーとして発売される。
同年、横浜外国人居留地20番にグランドホテルが開業する。
1879 明治05年
5月7日。新橋―横浜間に鉄道開通。
1879 明治12年
ストルンブリンクが我が国初の機械製氷に成功し、横浜山手居留地甲184番に横浜製氷所を開設した。
1890 明治23年
サンフランシスコからグランドホテルの支配人として、ルイス・エッピンガーが招かれる。
その後、間もなくして、同氏により、我が国初のカクテル『バンブー』が誕生した。
1894 明治27年
ルイス・エッピンガーが考案した、カクテル『ミリオンダラー』が同ホテルのメニューに掲載される。
1899 明治32年
この年の7月4日、新橋でエビス・ビアホール開店。
しかし、コープランドが、これ以前に、横浜・山手居留地の自社工場近くで、我が国初のビアホールを開店させていたという。
1910 明治43年
松山省三が銀座にカフェプランタンをオープン、翌年、同地にカフェライオンをオープン、この二店が日本のバーの先駆けとなる。
カフェライオンには、横浜のグランドホテルで腕を磨いた浜田昌吾氏(後に日本バーテンダー協会会長に就任)が勤め、グランドホテルの名物カクテルだった『ミリオンダラー』をおおいに客に奨めたという。
この店の常連には、文藝春秋の菊地寛がいて、ミリオンダラーを愛飲したという。
1911 明治44年
横浜初の洋画封切専門館、ヲデオン座が中区伊勢佐木町にて開館。
1920 大正09年
1月17日、アメリカにて禁酒法が施行される。この法律はその後13年10カ月19日7時間32分30秒続いた。
皮肉にもアメリカでは、この法案により、"モグリ酒場"スピークイージーが隆盛を極め、捜査官の眼を欺くためのカクテルが大流行する。粗悪品の酒の味を少しでも旨くするためという説もある。
この頃、欧州で世界初のカクテルコンペが開催される。
1923 大正12年
9月1日。関東大震災起こる。
この年の末、横浜で現存する最古のバー『パリ』が中区伊勢佐木町(現在は中区常盤町で営業)に『カフェ・ド・パリ』という店名でオープンした。創業者は、かの世界的カクテル『チェリーブロッサム』の生みの親であり初代日本バーテンダー協会横浜支部長(当時は神奈川支部)の田尾多三郎氏。
震災の悪夢から逸早く立ち上がった田尾氏のカクテルを飲み、癒し励まされた人も多かったにちがいない。
1924 大正13年
帝国ホテルにてカクテル『マウントフジ』が誕生する。
1926 大正15年
3月1日、我が国初のタウン誌『夜の横濱』が発刊される。同誌にはモボ・ボガが街を濶歩する様子や、当時隆盛を極めていた、カフェやバーが数多く紹介されている。
同年、菊地寛が讀売新聞に「酒ならばコクテール、コクテールならばミリオンダラー、雑誌ならば、わが文藝春秋」という広告文を掲載する。
1927 昭和02年
現存する我が国最古のカクテルブックが発刊される。カクテル『ヨコハマ』が紹介される。
また同年、震災で倒壊したグランドホテル跡地にニューグランドホテルが開業した。
1928 昭和03年
フランスのビアリッツで開催されたカクテルコンペでカクテル『アカシヤ』が一位 となる。
1929 昭和04年
5月1日、日本バーテンダー協会が銀座で発会される。
1930 昭和05年
この頃の横浜はモダニズムの風潮が席巻していた。
同年、ハマのモダンボーイの代表と目された北林透馬が発表した『街の国際娘』には当時の様子を伺知る描写がある「ジャズと、色電気と、嬌声と、タバコの煙。ひと眼では国籍の判別 出来ないやうな人々が、床を踏み鳴らして、唄ひながら踊ってゐ」
同年発表された、梶井基次郎の短編『琴を持った乞食と舞踏人形』は、日本文学にバーテンダーを登場させた極めて古い作品である。描写は次の通り。
「カフェライオンの卓子に一人で腰をかけて、白服を着た男がカクテールを振っているのを眺めたり・・・」
1932 昭和07年
我が国初のカクテルコンペが寿屋(現サントリー)の主催で開催された。これは全国からの公募形式で行われ順位はなかった。
入選した46作品には、『ミス・ジャパン』『クロフネ』『愛国』というネーミングのカクテルなどがあった。
中でも横浜出身のバーテンダー浜田昌吾氏が出品した作品『サンデー』は秀逸のカクテルとして注目された。これはサントリーウイスキー白札(現ホワイト)をベースに、ドライ・シェリーとクレーム・ド・カシスをくわえステアーで仕上げるという、当時に於ては、ひときわ斬新な処方、材料の組み合わせが用いられた。
1937 昭和12年
盧溝橋事件勃発。世の流れは一気に戦争に傾く。
15年には生活物資の切符制が導入され、物不足が深刻化する。そして翌年12月8日、太平洋戦争に突入。
1945 昭和20年
8月15日終戦
1946 昭和21年
現(社)日本バーテンダー協会横浜支部名誉相談役、金山二郎氏が進駐軍将校倶楽部『ゼブラクラブ』に就職。
1947 昭和22年
日本郵船(株)の有志が中心となり日本バーテンダー協会横浜支部の前身"横浜バーテンダーズ協会"が発会される。
1949 昭和24年
雑誌"酒と音楽"4月号に、長谷川幸保氏(当時の日本バーテンダー協会副会長)がカクテル『テネシーワルツ』を発表。その後、全国で大ヒットする。
同年5月、片山内閣によって昭和22年から禁止されていたバーの営業が解除される。
1950 昭和25年
5月に開催された日本バーテンダー協会主催の第2回オールジャパン・ドリンクス・コンクールにおいてカクテル『青い珊瑚礁 』が優勝。作者は名古屋の鹿野彦司氏。
1951 昭和26年
(社)日本バーテンダー協会横浜支部の前身、日本バーテンダー協会神奈川支部が発会。初代支部長にカクテルバー『パリ』のオーナー、田尾多三郎氏が就任する。
1953 昭和28年
6月26日。名古屋の御園座で催された日本バーテンダー協会主催の第5回オールジャパン・ドリンクス・コンクールにおいてカクテル『キス・オブ・ファイア』が優勝。作者は東京の石岡賢治氏。
11月21日、ホテルオークラにて日本バーテンダー協会神奈川支部の発会式を行う。竹鶴政孝ニッカウヰスキー社長(当時)や、ギルビー社のアーサー・S・ギルビー社主などをお招きし盛大に発会式典を催す。
1959 昭和34年
第1回サントリーカクテル・コンクールでカクテル『雪国』が優勝。作者は山形の井山計一氏。
1967 昭和42年
10月ANBA(NBAの前身のひとつ)主催のカクテル・コンペションにおいてカクテル『スカイダイビング』が優勝。作者は大阪の渡辺義之氏。
1983 昭和58年
10月ANBA主催のカクテル・コンペションにおいて、前横浜支部長の宮内誠氏が優勝。出品カクテルは『シェイド・オブ・ツリー 緑陰』
1993 平成05年
横浜支部名誉相談役金山二郎氏に(社)NBAより特別 功労賞が贈られるた。
1996 平成08年
10月9日~13日、新高輪プリンスホテル飛天の間に於て、第21回インターナショナル・カクテル・コンペティション東京大会、第1回インターナショナル・バーレディース・カクテル・コンペティション、第23回全国バーテンダー技能競技大会が開催される。
21th ICCのロングドリンク部門で岸久選手(Cocktail/Milky Way)、アフターディナー部門で高貝年擴選手(Cocktail/Sweet Heart)が見事優勝、世界一の栄誉に輝く。
また、第1回インターナショナル・バーレディース・カクテル・コンペティションに、横浜支部の角掛和子選手が日本代表として出場したが惜しくも受賞を逃した。
1997 平成09年
6月28日 横浜支部名誉相談役金山二郎氏のバーテンダー五十周年祝賀会をザ・ホテル・ヨコハマにて催す。
1999 平成11年
7月4日、新宿で行われた第26回全国バーテンダー技能競技大会関東大会において横浜支部の小林清隆選手が総合1位 に輝く。
10月10日、広島で行われた第26回全国バーテンダー技能競技大会において、横浜支部の小林清隆選手が総合優勝を果 たす。出品カクテルは『UNTOUCHABLE アンタッチャブル』
1999 平成12年
7月4日、新宿で行われた第27回全国バーテンダー技能競技大会関東大会において横浜支部の山本悌地選手が総合1位 に輝く。
10月29日、高知で行われた第27回全国バーテンダー技能競技大会において、横浜支部の山本悌地選手が総合優勝を果 たす。出品カクテルは『LAST SCENE ラストシーン』
2010 平成22年
5月23日、高松で行われた第37回全国バーテンダー技能競技大会において、横浜支部の山田高史選手が総合優勝を果 たす。出品カクテルは『LEON  レオン』
2011 平成23年
10月29日、マカオで行われたAsian Cocktail Championshipにおいて、日本代表として出場した、横浜支部の山田高史選手がグランプリを獲得。出品カクテルは『Orchard オーチャード』
2011 平成23年
11月10日、ポーランド ワルシャワにて開催されたIBA主催、第60回World.Cocktail.Championshipにおいて、日本代表として出場した、横浜支部の山田高史選手がベストネーミング賞、ベストテクニカル賞を受賞。総合優勝を果たし世界一に。出品カクテルは東日本大震災からの復興への願いを込めた『Great Sunrise グレートサンライズ』